1998年秋のイスラエル旅行11日間(旅程一覧&第1日目:テルアビブへ)

ナザレ旅行記

まみさんの旅行記

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旅行記タイトル:1998年秋のイスラエル旅行11日間(旅程一覧&第1日目:テルアビブへ)

旅行期間:1998/09/09〜1998/09/19

旅行記の内容:1998年の秋は、台風の目のように中東情勢が穏やかで、イスラエルの治安状況がいまよりずっと良い一時期がありました。
私のように、さほど中東情勢に詳しくなく、好奇心のままにふらふらっと旅行できるくらいには。
元クリントン大統領がパレスチナを訪問して歓待された、という新聞記事があったのを覚えているくらいです。
ただ、その後、急速に悪化しました。
本当に、台風の目のような狭間に訪れることができて、貴重な体験をしたと思っています。
そして私にとって初めてで驚きの連続であったユダヤ教の伝統。
やっぱり宗教伝統は、旅行スタイルに少なからず影響があります。
でも、あれほど「勉強」した気がするのに、その後、縁がなければ、どんどん忘れていくもの。
せっかくだからこの機会に、旅行の記憶とともに「のんびり」思い出していきたいと思います。


(写真は、死海写本が発見されたクムランです。
実際に写本が発見された洞窟までは見学していませんが、四輪駆動のジープでユダヤ沙漠を横断ツアーのときに撮りました@)

*****************
9/9(水)
成田からウィーンでの乗り継ぎを経てテルアビブへ(利用便:エルアル・イスラエル航空)

9/10(木)
テルアビブから死海へ移動
滞在ホテルのプライベート・ビーチで死海浮遊体験

9/11(金)
現地の個人ガイドの案内(1対1)で、マサダ遺跡観光後、ティベリアに移動。

途中、ガリラヤ湖周辺のイエスゆかりの地を観光(カペナウム、パンと魚の奇跡の教会、山上の垂訓の教会)。


9/12(土)
現地の個人ガイドの案内で、ナザレと地中海沿岸の町チェザーリアを観光した後、エルサレムへ。


ナザレ観光:
マリアの受胎告知教会、大工ヨセフの仕事場があった上に建てられた聖ヨセフ教会、マリアの井戸がある聖ガブリエル教会
チェザーリア(またはカエサリア):古代ローマ時代にヘロデ王が建てた町の遺跡

9/13(日)エルサレム観光1日目

午前:旧市街観光ツアー(半日)
なげきの壁(ユダヤ教徒地区)、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道。
イエスが十字架を背負ってゴルゴダに向かった道筋とされる巡礼地の一つ)、聖墳墓教会(キリスト教地区)、アルメニア人地区散策。

(※岩のドームのある神殿の丘を含むイスラム教徒地区は、前日イスラエルのどこかでテロがあり、封鎖されたため見学できなかった。

午後:一人歩きで、ダヴィデの塔のエルサレム歴史博物館、旧市街のアラブ人地区などを回る。


9/14(月)エルサレム観光2日目(博物館にこもった一日)

午前:聖書考古学博物館
午後:イスラエル博物館(死海写本館、西洋近現代美術部門、ユダヤ美術史部門)

9/15(火)エルサレム観光3日目

ユダヤ沙漠サファリ・ツアー(ユダヤ沙漠とワジ(枯れ河床)、死海に近いキブツの一つを見学、ヨルダン川や死海写本発見の洞窟クムラン近くまで沙漠をドライブ)
夜:イスラエル博物館再訪(2回目)(民族美術部門、ユダヤ文化コレクション)

9/16(水)エルサレム観光4日目

新市街観光ツアーの一日
(ダヴィデの塔のエルサレム歴史博物館、イスラエル博物館(3回目)の死海写本館、ハダッサ大学病院のチャペルのシャガールのステンドグラス、エイン・ケレムの洗礼者ヨハネ教会、ケネディ・メモリアル、ハダッサ、ヘルツェルの丘、クネセット(国会議事堂)前のメノラー(燭台))

9/17(木)エルサレム観光5日目

午前:現地ツアーでベツレヘム(イエス生誕教会)&ヤド・ヴァシーム(ホロコースト犠牲者の記念碑・博物館)を観光。

午後:園の墓(もう一つのゴルゴダの丘)とイスラエル博物館再訪(4回目)(ユダヤ文化コレクション)を観光。

深夜:イスラエル出国

9/18(金)ロンドン着(経由)
スタンステット空港からヒースロー空港へ自力で移動
合間に半日ロンドン市内観光(ナショナル・ギャラリー)

9/19(土)成田着
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写真:1998年の秋は、台風の目のように中東情勢が穏やかで、イスラエルの治安状況がいまよりずっと良い一時期がありました。
私のように、さほど中東情勢に詳しくなく、好奇心のままにふらふらっと旅行できるくらいには。
元クリントン大統領がパレスチナを訪問して歓待された、という新聞記事があったのを覚えているくらいです。
ただ、その後、急速に悪化しました。
本当に、台風の目のような狭間に訪れることができて、貴重な体験をしたと思っています。
そして私にとって初めてで驚きの連続であったユダヤ教の伝統。
やっぱり宗教伝統は、旅行スタイルに少なからず影響があります。
でも、あれほど「勉強」した気がするのに、その後、縁がなければ、どんどん忘れていくもの。
せっかくだからこの機会に、旅行の記憶とともに「のんびり」思い出していきたいと思います。


(写真は、死海写本が発見されたクムランです。
実際に写本が発見された洞窟までは見学していませんが、四輪駆動のジープでユダヤ沙漠を横断ツアーのときに撮りました@)

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9/9(水)
成田からウィーンでの乗り継ぎを経てテルアビブへ(利用便:エルアル・イスラエル航空)

9/10(木)
テルアビブから死海へ移動
滞在ホテルのプライベート・ビーチで死海浮遊体験

9/11(金)
現地の個人ガイドの案内(1対1)で、マサダ遺跡観光後、ティベリアに移動。

途中、ガリラヤ湖周辺のイエスゆかりの地を観光(カペナウム、パンと魚の奇跡の教会、山上の垂訓の教会)。


9/12(土)
現地の個人ガイドの案内で、ナザレと地中海沿岸の町チェザーリアを観光した後、エルサレムへ。


ナザレ観光:
マリアの受胎告知教会、大工ヨセフの仕事場があった上に建てられた聖ヨセフ教会、マリアの井戸がある聖ガブリエル教会
チェザーリア(またはカエサリア):古代ローマ時代にヘロデ王が建てた町の遺跡

9/13(日)エルサレム観光1日目

午前:旧市街観光ツアー(半日)
なげきの壁(ユダヤ教徒地区)、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道。
イエスが十字架を背負ってゴルゴダに向かった道筋とされる巡礼地の一つ)、聖墳墓教会(キリスト教地区)、アルメニア人地区散策。

(※岩のドームのある神殿の丘を含むイスラム教徒地区は、前日イスラエルのどこかでテロがあり、封鎖されたため見学できなかった。

午後:一人歩きで、ダヴィデの塔のエルサレム歴史博物館、旧市街のアラブ人地区などを回る。


9/14(月)エルサレム観光2日目(博物館にこもった一日)

午前:聖書考古学博物館
午後:イスラエル博物館(死海写本館、西洋近現代美術部門、ユダヤ美術史部門)

9/15(火)エルサレム観光3日目

ユダヤ沙漠サファリ・ツアー(ユダヤ沙漠とワジ(枯れ河床)、死海に近いキブツの一つを見学、ヨルダン川や死海写本発見の洞窟クムラン近くまで沙漠をドライブ)
夜:イスラエル博物館再訪(2回目)(民族美術部門、ユダヤ文化コレクション)

9/16(水)エルサレム観光4日目

新市街観光ツアーの一日
(ダヴィデの塔のエルサレム歴史博物館、イスラエル博物館(3回目)の死海写本館、ハダッサ大学病院のチャペルのシャガールのステンドグラス、エイン・ケレムの洗礼者ヨハネ教会、ケネディ・メモリアル、ハダッサ、ヘルツェルの丘、クネセット(国会議事堂)前のメノラー(燭台))

9/17(木)エルサレム観光5日目

午前:現地ツアーでベツレヘム(イエス生誕教会)&ヤド・ヴァシーム(ホロコースト犠牲者の記念碑・博物館)を観光。

午後:園の墓(もう一つのゴルゴダの丘)とイスラエル博物館再訪(4回目)(ユダヤ文化コレクション)を観光。

深夜:イスラエル出国

9/18(金)ロンドン着(経由)
スタンステット空港からヒースロー空港へ自力で移動
合間に半日ロンドン市内観光(ナショナル・ギャラリー)

9/19(土)成田着
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以下に続くイスラエル旅行記は、帰国後間もない1998年の秋、まだ旅行の感動も記憶もほっとなうちに、親しい友人に配るためにまとめた旅日記を編集・加筆したものです。
基本的なところは変えていません。
中東情勢や治安・セキュリティー対策については、当時は、アメリカはクリントン政権の最中で、3年後の2001年9月に米国同時多発テロが起きるなどとは想像もつかない頃でしたので、いまとはだいぶ違うことを踏まえて、お読みいただければと思います。




1日目:1998年9月9日(水)───成田からウィーンでの乗り継ぎを経てテルアビブへ

この日について特筆すべきは、イスラエルの主要航空であるエル・アル・イスラエル航空のセキュリティ・チェックのすざまじさでしょう。


エル・アル航空のセキュリティ・チェックが厳しいことは、参考にした二冊のガイドブック「地球の歩き方」と「Lonely Planet シリーズ」にしっかり書いてありました。
出国の際は、国際線の通常の二時間前ではなく、三時間前にはチェックインしていた方が良い、と旅行代理店の担当者からアドバイスされていたくらいですし、航空券を受け取ったときに、一緒にセキュリティー・チェックについて簡単な説明が書かれたメッセージが渡された中にそのように書かれていました。
なので、私なりに覚悟していったつもりでした。
しかし、あれほどとは思いませんでした。


テルアビブへは直行便がないので、途中で乗り継ぎをします。
行きはウィーンで乗り継ぎでした。
そこまで全日空でしたので、噂の厳しいセキュリティー・チェックを受けたのはウィーンの空港からエル・アル機に乗る前のことでした。


まず、イスラエルの保安当局から派遣された二人の担当官から別々に同じ質問を2回受けます。
両方の質問に同じように答えられるかどうか試すためのようです。
職業や家族のような私の個人情報から始まり、旅の目的・日程、滞在先、旅行会社にいくら払ったか、などなど。
担当官が特にこだわっていたのは、今回イスラエルに行くにあたって、私がアラブ人と接触を持ったかどうか、という点でした。
なにしろ、イスラエルは、飛行機にかかわらず、爆弾を持ち込んだ自爆テロに悩まされてきたのですから。
知らずにテロリストの手先にされてる可能性だってあります。
ということをあの時気付けば納得できたかもしれませんが、あの時は、事前の覚悟以上のしつこい質問の嵐に、なんでこんなことまで聞かれなくちゃならないの? と戸惑いました。
どうしてイスラエルに行くことにしたのか? なんて聞かれても、行きたくなったら、としか答えようがありませんでしたし(実際には、聖書の舞台の地だの歴史に興味があるだの言って、ガイドブックに書かれてあるような観光魅力をべらべらと並べ立てました)、私のスケジュールは旅行パンフレットに載っていた日程に3日の延泊を加えたものだったのですが、その間、ホテルが予約されていないことについても、特にしつこく問い詰められました。
日本人の個人旅行者が、フリー行動日のホテルを現地で探すなんて、そう珍しいことでもないと思っていた私にとっては、うんざりな質問でした。


しかし、この執拗な質疑応答も、その後の荷物検査の比ではありませんでした。


その時はすでに、飛行機の離陸時間まで30分くらいしかなかったと思います。
なんと、飛行場の隅にあるプレハブの建物へ、スーツケースと共に、複数の係員に囲まれて案内されたました。
その段階で、なんか被疑者として取調べでも受けるようなかんじでいい気分はしませんでしたが、建物の中で身体検査、手荷物、スーツケース……と、不審物がないかどうか徹底的にチェックされました。
しかも、私一人の荷物に対して、いつのまにか4人もの係員がかかりっきりになっていました。
いまにして思えば、時間がなかったので人海戦術ということだったのかもしれません。
なにしろ、プラスチックのカゴをいくつも用意して、中身を全部その中に開けてしまうのですから。
それも、化粧ポーチからコンパクトを出して開けてみたり、口紅もちゃんと出してみたり、ペンケースからシャーペンやボールペンを取り出して、カチカチ芯を出して確認したり、という念の入れようです!  カメラや目覚し時計からは電池が抜かれ、あらかじめセットしていたフィルムは取り出され、妹にせがまれて成田空港の免税店で買った土産の香水も、きれいに包装されてあったのに開けさせられました。
そうやって例外なく一つ一つ金属探知器にかけられ、かけた後はかけた後で、大丈夫なもの、更にチェックする必要があるもの、という風にプラスチックのカゴに分類されていました。
日本茶のティーパックは金属探知器にひっかかったので、携帯のみそしるやのど飴と同じ袋にしまっておいたのに別々にされ、アルコール・テッシュもひっかかったので洗面用具用の袋から取り出され……もうっ、せっかく人が使いやすいように分類しておいたのにっ! 

挙げ句の果てに、飛行機の離陸時間2、3分前になって、「まだあなたの荷物検査は終わらないので、もし荷物が飛行機に間に合わなかったら、明日、あなたのホテルに送らせるようにします。
テルアビブ空港についたら携帯品紛失届のカウンターに行ってください」と言われてしまいました。
えええっ! びっくり仰天! まさかそこまでやるの?

───幸い、荷物は間に合って飛行機に積まれて、テルアビブ空港で無事、受け取ることができました。
ホテルに着いた時には夜中の1時を過ぎていましたが、すぐさま荷物を解き、適当に放り込まれたものを分類し直して、紛失してるものはないことをちゃんと確認してやっと、一息つけました。
やれやれ。


今にして思えば、乗り継ぎ地のウィーン空港では、テルアビブ空港にあるような精密なX線による荷物調査ができなかったから(成田でスルーチェックインでテルアビブまですべて手続きがすんでしまったため、入るのにセキュリティチェックが必要となるエリアの外に出る必要がなかったせいでしょう)、ああいう古典的な方法で中身を洗い直すしかなかったんだろうと思います。
その証拠に、イスラエル出国の日のテルアビブ空港でのセキュリティー・チェックは、同じくエル・アル航空に搭乗しましたが、少なくとも荷物検査の方は、マシンチェックでひっかかったものの中身を開けるだけにとどまったからです。
その程度ならどの空港でも行われるので、それほど厳しいとは思いませんでした。


もっとも、帰国のテルアビブ空港での保安官の質問は、ウィーンの時に劣らず微に入り細に入り、やはりうんざりするほど細かかったです。
矢継ぎ早に出される質問についていけない私を見て、私が不快に思っているせいかと勘違いした担当官は、「実際に飛行機に乗るのはあなたであって、私ではないんですよ。
危険な目に合うのは、あなたなんですよ。
あれこれ聞くのはあなたのためなんですよ」とまで言っていました。
単に、どんどん早口になる英語に、深夜で眠くなっていた私の頭がついていけなかっただけなのですが……、いやはや、お役目、ごくろうさま!って内心では言いたくなりました。


(写真は、テルアビブの信号機です。
到着の翌朝の朝食後に、現地ガイドの迎えまで時間があったので、ホテル近くの海岸を少し散歩したときに撮ったものです。
歩行者用ボタンを示すイラスト標識がなかなか味があるなぁと気に入って撮りました。
ちなみに、イスラエルでは、1998年のこの旅行の最中に私が見た限りでは、信号機はこのように縦型のものばかりで、電球が横に並んでいるのは見かけませんでした。

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